2018年06月29日

映画(漫画)『恋は雨上がりのように』が面白い6つの理由

『恋は雨上がりのように』

71bQuCNGN4L.jpg

眉月じゅんによる同名の原作コミックの映画化。

320.jpg

アキレス腱のケガにより陸上の夢を絶たれた17歳の女子高校生【橘あきら】を【小松菜奈(22)】が演じ、そしてバイト先の店長であり、あきらが想いを寄せる冴えないバツイチ子持ち【近藤正巳】45歳を【大泉洋(45)】が演じるダブル主演映画。

監督はCMディレクターとして有名な永井聡。
長編映画は『ジャッジ!』『世界から猫が消えたなら』『帝一の國』(原作、古屋兎丸の同名マンガ)に続き4作目。

原作は、遥か年上の男性に想いを寄せる女子高生の心情を叙情的に描写し、その二人の恋模様や、それを取り巻く登場人物との繊細なやり取りが共感を呼び、2014年の連載開始から漫画界の各賞を総ナメ。
2015年度コミックナタリー大賞2位、第63回「小学館漫画賞」受賞、「このマンガがすごい!2016」オトコ編第4位などに輝いた。

ちょうどこの頃、塩原は深夜の漫画喫茶でバイトをしていた時期であり、それとなく「このマンガがスゴイ」コーナーに陳列してあった同作を読んでハマった。

当時の呟きを抜粋。
-------------------------------------------------------------
「恋は雨上がりのように」最新4巻まで読んだけど面白いなぁ死にたくなるなぁ。17歳の女子高生が45歳の冴えないオッサンに恋する話。オッサン目線で語られる小説に準えた言葉のひとつひとつがとてもいい。周りの目だけが理由なんじゃない。なにより俺が、傷つきたくないんだ。で泣きそうになった。
13:11 – 2016年1月30日
-------------------------------------------------------------
オッサンが大学時代に純文学サークルで小説書いてた話がチョロ見えしてきて気になり過ぎるわくわくするあーあの机の上の書きかけの原稿はあーーーーー
13:14 – 2016年1月30日
-------------------------------------------------------------

また、今年2018年1月から3月までフジテレビ系列でアニメ化もされました。
その後、原作コミックは今年の5月に最終巻10巻を刊行。
そして同年5月25日より映画版『恋は雨上がりのように』が全国ロードショー公開。

マンガ、アニメ、映画と、全てが完結したというのが現在の状況ですね。

というわけで、今作の撮影は去年末11月〜12月頃に行われていたとのことで、最終巻の発行から遡ること半年前ぐらいに撮られていた作品ということで、原作未完で撮ることになったであろうラストシーンなんかは映画オリジナルの結末となっています、と。


『恋は雨上がりのように』が面白い何個かの理由

その前に、映画版のあらすじを。
重複してしまいますが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高校2年生の【橘あきら】(17)は、アキレス腱のケガで陸上の夢を絶たれてしまう。偶然入ったファミレスで放心しているところに、優しく声をかけてくれたのは店長の【近藤正己】(45)だった。

それをきっかけに【あきら】は、ファミレスでのバイトを始める。
バツイチ子持ちで、ずっと年上の【近藤】に密かな恋心を抱いて……
【あきら】の一見クールな佇まいと17歳という若さに、好意をもたれているとは思いもしない【近藤】。
しかし【近藤】への想いを抑えきれなくなった【あきら】はついに【近藤】に告白する。
【近藤】は、そんな真っ直ぐな想いを、そのまま受け止めることもできず―
真っ直ぐすぎる17歳、さえない45歳。
ふたりに訪れる、人生の雨宿りの物語。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1.頑張れない人へ勇気を送る、応援歌であること

17歳女子高生と45歳冴えないバツイチの恋物語というあらすじ、そしてデデーンという少女漫画風のあきらのドアップの表紙、これだけでもうパっと見「ハハーン、歳の差の恋、ラノベ的展開、ラブコメ、さしずめタイトルは『うちの店の高校生バイトが、俺のことを好きなわけがない』って感じかー?」と思った方も多いでしょう。

しかし、眉月先生本人もインタビューで「この作品をラブストーリーだと思ったことは一度もありません」と言っているように、この作品をちゃんと見もせず、少女マンガ的ステレオタイプのファンタジーラブストーリーとして安易に捉えてしまうのはあまりにも軽率です。

その他のインタビューでも先生は「『恋雨』を恋愛マンガとして描いていません」や「『恋雨』に限らず、今までのマンガは全て『応援歌』のつもりで描いています」と発言しており「明日もこれで前に進めそう」って感じてもらえるようなものを描こうと思っている、とも仰っています。

実際に読んだ自分も、同じような感想を抱いたし、アトロクにて残念ながらムービーウォッチメンの対象作品にならなかったものの、リスナー評にて「まさかの俺達の大好きな『負け犬達のワンス・アゲイン映画』だった!」と言われていたような作品なのです。

ちなみに補足して説明しておくと、『負け犬達のワンス・アゲイン映画』とは、ライムスター宇多丸さんが映画評にて『ロッキー・ザ・ファイナル』や『レスラー』『ハッスル&フロウ』『アンヴィル』など、夢を諦めた中年男がもう一度立ち上がる系の話によく使う言葉です。
「何かを諦めてしまった人」や「あの頃何かを頑張っていた人」に送る応援歌的な作品群が挙げられるかと。

そしてこの『負け犬達のワンス・アゲイン』的要素もさることながら、この作品がただの恋愛漫画になっていない理由として「恋愛だけ」を主軸に置いていないから、というのが考えられます。

眉月先生曰く「17歳の女の子の生活を全部描こう」というコンセプトから「部活・恋愛・バイト」の3要素からなっている作品なんですね。

また、一見少女漫画風の表紙からは想像できないファイティングスピリッツ溢れる作風になった要因の一つとして眉月さんは「青年誌でデビューしたこともあってか、昔から女性誌に描くと青年漫画っぽいね〜と言われ、青年誌に描くと少女漫画っぽいね〜と言われ、どういった作風にしようか迷っていた」とのこと。その辺のハイブリッド感が結果『恋雨』の読者層が男女半々になるという良い結果に繋がったのではないかと考えます。


2.全体の雰囲気を決めている、程よいハイコンテクスト感が純文学を読むような楽しさを与えてくれる

原作漫画でもかなりキモになっていることなんですが、作品全体に適度なハイコンテクストなコミュニケーションや演出があるのが良いんですよね。

コンテクストというのは「言語・共通の知識や体験・価値観・ロジック」のこと(踏まえておきたい前提条件的な?)
コミュニケーションにおいてこれが沢山必要な言語は、特に日本語は最たる例ですが、言葉の中にある本当の意味を汲み取ったり、お互いの共通の認識や価値観で補足し合いながら、言語だけに依存しないでコミュニケーションを取り合うんですよね。

超乱暴な言い方をすれば「空気読め」ってやつ。この前の日大アメフトの「おい、わかってるな?」って言葉なんて実際にはほとんど何も言ってないような言葉なのに、10は言ってるように捉えてしまうもの。

んでこの作品はまず「店長のことを好きだ」という共通認識を主人公二人がお互いに持った中での会話のやり取りにこの感覚を存分に味わえます。
何気ない言葉に一方では傷ついたり、一方では多幸感を得たり、そういう登場人物の微妙な心理を読み解きながら見るとより楽しめます。

また「言葉の裏に隠れた本当の意味」なんかを読み取りながら見るのも良い。
と言っても、そんな〜に難しい、超絶読解力を必要とするような作品では決してない、というのだけは付け加えておきます。
それこそ作中で、学校で芥川の「羅生門」の読解テストをするというくだりがありますが、それぐらいの自由な読解力で読み進めて充分に楽しめます。

そしてこの読み解き紐解いていく楽しさが、同じく作中で店長が、自身の愛する文学を「楽しむ」こととリンクしてくるんですよね。『恋雨』を楽しむことで、そういった純文学の楽しさというのも感じさせてくれる、そんな作品です。

また「読み取る楽しさ」を与えてくれる大きな要素として

a.「感情を表に出すのが苦手」というスペシャリティを持った橘あきらというキャラクタ
b.タイトルにも入っている【雨】そしてその他の天気
c.口ほどにモノ言う足

この辺に注目しながら観ると、とても楽しめるんじゃないかなと思います。
この足のカットは、この天気は、何を表しているんだろう〜とかね。

他にも適度なメタファーなんかもちょいちょい出て来て、例えば【花】とか【鳥】とか【ツバメの巣】とか【ガラス】とか。
あとそれこそこの【ガーデン(バイト先)】とか。ガーデンという場所が、他に居場所のない皆にとっての雨宿りの場所になってたりするのかなーなんて。

そしてタイトル『恋は雨上がりのように』とはどんな意味なのか。雨、そして雨上がりの空、そんなことを考えながら観るととても楽しいです。


3.唯一無二のキャスティング

45歳、冴えないおっさん店長近藤役に【大泉洋】(パトレイバーの後藤さんみたい)

始めは堤真一さんの案もあったらしいが、結果的に大泉洋さんにして大正解だったと思う。

まず第一に、セックスアピールが薄いこと。女子高生と45歳のおっさんというワードだけで今ちょうどヤバい時期なのに、横に並んだ時にセックスセックスしぃ匂いが出過ぎては原作の雰囲気をブチ壊してしまう。

そして何よりも原作でかなり笑える漫画的ギャグシーンが、大泉さんがやられると実写でもちゃんと笑えるシーンになるのがスゴイ。
大泉さんのコメディ力、冴えない感、セクシャリティの薄さ、そしてなんと言っても実際に45歳だが魅力的という人間性、全てがバっちりハマっていると思う。

ちなみにこのセクシャリティの薄さ、というのは本作で撮影監督を務めた女性カメラマン市橋織江さんの功績もかなり大きいと思われる。
永井監督ともCMでよくタッグを組む市橋氏が「私は逆にセクシャルな画を撮れないのがコンプレックス」と言っているように、画的にいやらしさが薄くなっていて、かつ「美しい画を撮ること」と「女性をかわいく撮ること」に秀でた映画になっていると思う。雨の景色が多いので、美しく撮ることは大事だよね。

そしてなんと言っても橘あきらを演じた【小松菜奈】

風貌もさることながら、喋り方とか立ち振る舞いとか、もう本当漫画から飛び出してきたかのような再現度。
感情を表に出すのが苦手だけど、内に熱い想いを秘めた高校生を見事に演じきった。
あととにかく美しい。実はこの「美しい」というのが本編で重要な要素になっている。

その他のキャスティングも見事で、ガーデンのバイト仲間たち、親友のはるか、そして!近藤の大学時代の友人、九条ちひろ役に抜擢された【戸次重幸(TEAM NACS)】!!
言わずもがな、大泉とは北海道大学演劇研究会時代からの友人である。

ちなみに二人が再開するシーンで使われた居酒屋はどう見ても神保町の酔の助!!


4.楽曲がかっこいい

バリかっこいいアニメのようなオープニング、に使われているのはポルカドットスティングレイ「テレキャスター・ストライプ」

そして主題歌の鈴木瑛美子×亀田誠治「フロントメモリー」が、眉月先生自身も「この映画のテーマソングです」と言ってるようにもう映画の雰囲気にバッチリ。

この「フロントメモリー」2014年にリリースされた神聖かまってちゃんの6枚目のシングルだが、後に川本真琴さんをVo.に迎えた「フロントメモリーfeat.川本真琴」Ver.が有名か。

ちなみに川本真琴さんがゴロにゃんずで一緒にバンド活動をしていたスカート澤部渡氏もこの映画に楽曲を提供している。

そして元東京事変、亀田誠治を音楽プロデューサーに迎え、歌うますぎ女子高生シンガー鈴木瑛美子に歌わせるという、意味性でもこれ以上ない配置。MVもyoutubeで配信中。

実はこの曲、原作コミックにも2度ほど登場しています。なので、漫画先行からの映画への逆輸入なんですよね。

伊藤ゴロー氏が音楽監督を務めその他にも、神聖かまってちゃんmono、の子、スカート澤部渡、忘れらんねえよの柴田隆浩さんなどが楽曲を手掛けている。ので、かっこいいんですよ音楽。その辺にも注目して観て頂きたいです。


5.映画オリジナルのまとめ方、結末に好印象

これはもう、原作が完結していなかったので結果的にそうなったのかもしれないけど、とてもいいまとめ方でした。

まず、大体2時間程度の尺に収めなきゃいけないという事で、かなり色々な場所が端折られてはいるのですが(近藤がバツイチと判明するくだりとか好きなんだけどなー「殴られんのか?」)うまーいことあのエピソードとこのエピソードを合成して…みたいな感じで、大事なとこは押さえつつ進行していきます。
この辺の脚本家の取捨選択のセンスもとても好印象。(どこかの映画は四乃森蒼紫に時間使いすぎなんだよ。。。)

監督自身、原作のセリフをとても大事にしていて、大泉曰く「ここまで原作通り、一言一句セリフを変えないでくださいと言われたのは初めて」とのこと。
監督が言うには「漫画の映画化をやる時は、リメイクだと思っているんです。ひとつの言葉をなくしただけでその漫画ではなくなってしまう危険性があるので、そこはシビアに演出させてもらいました。」とのこと。
それでいて、例えば告白のあとのギャグギャグしい漫画チックなシーンが、ちゃんと笑えるコメディ的なシーンとして成立させてしまう大泉力も凄いんだけど。
そういった監督、キャスト、スタッフ陣の原作愛が随所から滲み出ているのもいいんですよねー。


そしてそして!何と言ってもラストの結末!
まだ原作が完結していない中、とても良いラストカットが切られています。

ネタバレするかしないかギリギリのラインでこの辺のことについて話すと、まず原作はラスト9〜10巻の辺りが超いいんですね。

もう読んでて心臓バクバクからの「キチィーー」からの号泣メー―ンな展開なわけですよ。9巻からのブーストのかかり方がエグい。

『恋は雨上がりのように』ってタイトルから連想できるように、それぞれの登場人物が長く続いた【雨】【雨宿り】からツバメのように巣立って行き、雨上がりの空に羽ばたいていくお話だろうなってのはなんとなく想像出来ると思うんですけど、その実際に羽ばたいている姿を描くかどうかって迷うところじゃないですか。


この辺からネタバレやな人は【その6】まで飛ばすことをオススメします。














この映画は、あきらが走っているシーンが何度も出てくるんですけど、そんな中で実際に「全盛期のあきらが全力疾走している」いわゆる「飛翔している」シーンも、敢えて回数は言いませんがとりあえず何箇所か出てくるんですね。
ひとつはオープニング。
これはまぁ、もうド頭なんでネタバレ言っちゃいますけどあきらの「願望」や「妄想」にしか過ぎない抽象的なシーンとして描かれているので(その為にワイヤーアクションなんかを使って抽象性を増して、まさに「飛んでいる」画としているわけですが)いいんですけど。

もう一つ、「高校生スプリントの記録を叩き出した時の過去の振り返り」の回想としてこの実際にあきらが全力疾走しているシーンが出てくる。
ここがかなり力入ってて、クレーンだか空撮だかドローンだか分からないけどもう最高の「一番輝いているあきら」の画、映画の画的にも超盛り上がりのある画、しかしその画をアッサリ見せちゃうんですよ。
で、僕も「アレアレ…これはラストシーンにとっといた方がええんじゃ……」なんてことを思っちゃったんですけど、そこは心配ご無用、ちゃーんとそれ仕様にラストがオリジナルに書き換えられてるんですよね。


要するにこの映画版を観て僕が思ったのは「その精神性、アティテュードこそが美しいのだ」ということ。


原作でも度々出てくる【美しさ】というワード。

浜辺でのシーン。
息子の勇斗とあきら、若者二人が浜辺で遊んでいます。落ちていたシーグラス、元は尖ってピカピカ(美しかった)だったが、角は取れて濁った色をしている。
これを見て、尖りも美しさも失ったおじさんになってしまった自分と重ね合わせる、近藤は言います。「俺は年をとった。日々肉体は朽ちて、心は鈍くよどんでいく…だからこそ、彼らを美しく思うのか。」と、そんな問いが出てきます。

また別のシーン「将来を語るには俺は歳をとり過ぎた、17歳のキミが羨ましい」というちひろに対し、17歳の町田が「ぼくは17歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」と、ポール・ニザンの「アデン・アラビア」の一説を投げかけます。

僕に言わせりゃ45年間、ひとつのことに打ち込み続けてるアンタの方がよっぽど美しいよ、みたいな感じで言うんですね。
もちろんそれは若いからこそ言えてしまうことのなのかもしれないけど。

そんなやり取りから浮かび上がってくるのが先の「その精神性、アティテュードこそが美しいのだ」というメッセージ。

要するに、実際には成功するか分からないが小説に打ち込む近藤や、アキレス腱の怪我の恐怖を打ち払い、もう一度走る勇気を得ようとするあきらや、その他の巣立っていく登場人物達もそうだが、そういった【姿勢】【美しきアティテュード】を描いてしまえば、その先を描くのはもはや無粋なのかなと、そういったことまで考えられているんですよね。

ラストシーン、漫画とは全然違う画で終わりますが、これだけは言っておきたい。

制服、ファミレス衣装、デート服、数々の姿で現れて美しい姿を見せてくれる小松菜奈さん、しかしやはり、ラストシーンが一番【美しい】よ!


























6.色々なものの対比が面白い

このお話を平々凡々な話にしてない一要素が、想いを寄せ合う二人の【歳の差】
同級生でもなければ似たもの同士でもないこの二人が互いの言葉に救われたり、傷つけあったりが面白く、この【真っ直ぐな女子高生と冴えないおじさん】という対比の構造がとても面白い。

例えば、陸上に対しての想いも、あきらもはるかも好きだからこそというので取り組んでいるものの、はるかは「好き」だけで続けられる人に対し、あきらは「才能あるが故の」失ったものの大きさと戦っていて、好きという気持ちだけでは前に進めない葛藤にかられています。

この辺は【売れてる作家】ちひろが、現状の自分の作品に対して満足していなかったり、売れてないけど自分のやりたいことに正直に生きている近藤に対して羨ましがるという対比なんかも描いてます。

また【学校や陸上部】という居場所に対しての【バイト先】という居場所であったり、それこそ【本】と【陸上】という対比の構造も見えてきますね。

ただ、この作品全体ではそういった要素を否定的に描くわけではなく、どちらもいい面も悪い面もあるぜって、多面的に描かれているのがいいなと思って。

その最たる例なんですが、二人の歳の差を使って、過ぎ去ってしまう【時間の冷酷さ】を描いてる一方で、実はその【時間が過ぎ去ってしまう】ことによって救われるものもあるよな、という優しい目線でも描かれているんですよね。(失恋の話・大人の言い分・季節はまた巡る・夏)

それと関連して、時間が経つと雨も上がりやがて晴れがくると。
『恋は雨上がりのように』というタイトルに込められてる想いとして【雨】というのはあくまで【晴れ】までの準備の時間でもあるんだよ、ということや、むしろそんな【雨】というか【雨やどり】というのも、たまには悪くないじゃない、とも思わせてくれるんですよね。

主題歌の「がんばれないよ、がんばれないよ、そんなんじゃいけないよ」という歌詞にも、ただただ「おい!お前頑張れよ!」だけじゃなく「時には頑張れない時があってもいいじゃない、またいつか歩き出せれば」というような優しさが、近藤のような優しい目線が作品全体を包んでいるのが良いなぁと。そう思いました。
posted by しーおー at 22:00| Comment(0) | シコメン!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

このブログの記事は塩原個人が書いております。 掲載された記事に何か問題がありましたら、お手数ですがt_shiobara(あっと)agarisk.comまでご連絡ください。